「神も王も英雄もいらぬ」の部分(※日本語詞にはない)

朝日新聞 2015年1月9日 パリ=特別編集委員・冨永格

腕利きの風刺画家5人犠牲 権威を笑い、弱者には優しさ

シャルリー・エブド襲撃事件で、フランスは腕利きの風刺画家を一度に失った。12人の犠牲者のうち5人が、編集部に居合わせた漫画家たちだった。

80歳で銃弾に倒れたジョルジュ・ウォリンスキ氏は、同紙の創設にも関わった代表的な描き手だった。1968年、反体制派がカルチエラタンの学生街を占拠した際には、彼らを「過激派」と非難したドゴール大統領に向けて「過激派」という新聞を創刊、痛烈な政権批判を展開したことで知られる。
愛敬ある丸眼鏡で知られたジャン・カブ氏(76)は14歳の時から60年以上の画歴を誇るが、ウォリンスキ氏と同様「永遠の童心」を持つとされてきた。20代でアルジェリア独立戦争に出征した経験から平和主義者に転じ、過度の愛国主義や女性蔑視への皮肉を得意とした。あらゆる権威に加えて「平均的なフランス人」をも笑い飛ばしたが、根っこにはいつも弱者への優しさがあったという。
2009年から発行人を務めていたステファン・シャルボニエ氏(47)も達者なイラストレーターだ。最新号に載った「イスラム過激派のテロ予告」が遺作となった。「私には妻子もいないし、車も預金もないから報復は怖くない。ひざまずいて生きるより、立ったまま死ぬほうがいい」の言葉が残る。(パリ=特別編集委員・冨永格)

シャルリー・エブド襲撃事件で犠牲になった風刺漫画家の(上段左から時計回りに)ジャン・カブ氏、ベルナール・ベルラック氏、ジョルジュ・ウォリンスキ氏、ステファン・シャルボニエ氏=AFP時事

http://www.asahi.com/articles/photo/AS20150108004466.html

上の写真の左下の人が、今回殺害されてしまったシャーリー・エブドの編集長シャーブ(ステファン・シャーボニエー)なんだけどさ、朝日新聞の記者は、彼のことを「発行人」って書いてるけど、なんなの?なんで「編集長」って言われてる人のことを「発行人」にしてんだ?相変わらず通常運転の不気味さ度すげえな!

それに、「イラストレーター」って・・・なんか違うんだよな・・・。

「パリ=特別編集委員」って書かれてあるけど・・・この人、どんな「取材」する人なんだろ。

編集長シャーブ、彼の葬儀は故郷であるポントワーズで行われ、いくつか音楽が流れた。

その1曲は「インターナショナル」だった。

シャーリー・エブド編集長シャーブの葬儀 2015年1月16日(金) 

「インターナショナル」

歌詞 1871年 ウジェーヌ・ポティエ(Eugène Pottier)

作曲 1888年 ピエール・ドジェーテル(Pierre Degeyter)

インターナショナル(英語: The Internationale、フランス語: L’Internationale、ロシア語: Интернационал、中国語: 国际歌)は、社会主義者の歌の一つ。歌としての分類は革命歌に属する。1917年から1944年の間、ソビエト連邦の国歌でもあった。労働組合運動の団結意識を高める際にも歌われる。 オリジナルであるフランス語の歌詞(全6番)は、1871年のパリ・コミューンの蜂起の際にウジェーヌ・ポティエ(Eugène Pottier; 1816年 – 1887年)の手によって、曲は1888年にピエール・ドジェーテル(Pierre Degeyter; 1848年 – 1932年)の手によって作られた。共にアマチュア詩人・作曲家であった。その後、フランスの労働者・社会主義者によって広く愛唱されるようになり、1902年にはロシア語に翻訳されるなど、やがてはフランスから世界中に広まった。

その歌詞は、ロシア語を始め、色々な言語に翻訳されている。日本語の場合、翻訳というよりもむしろ翻案に近いとも言える。翻案や大幅な改変は日本語版に限ったことではないが、冒頭の「起て!」の部分、2番の「神も王も英雄もいらぬ」の部分(※日本語詞にはない)、サビの「いざ たたかわん いざ ~ インターナショナル!」の部分の繰り返しは、おおむね万国共通である。具体的な歌詞は、ウィキソースならびに下記の外部リンクを参照。
※ 日本語詞は作詞者の著作権管理が不明で、小牧近江・佐々木孝丸・佐野碩の死後50年が経過せず、日本の著作権法による保護期間内であるため、ウィキペディアでは掲載しない(下記の外部リンクを参照)。

日本語詞は1922年に、小牧近江がフランスで入手したジョルジュ・ソレル編の『社会主義辞典』に楽譜とともに載っていた歌詞をもとに佐々木孝丸によって付けられ、同年11月に東京神楽坂の牛込会館で開催されたロシア革命記念日集会で初めて披露された(集会自体は講演会に偽装して行われたが、壇上で歌いだした小牧近江は、直ちに検束された。なお、1922年版は小牧による作詞という説がある。)。現在、主に歌われているのは1929年頃に佐々木と佐野碩が改訳したものである。党派によって採用している歌詞に微妙な差異が存在する場合がある。題名は「インター」と略称で呼ばれる場合がある。

フランス語版の歌詞は、六番まであり、各国のインターナショナルはこれを翻訳したものが多い。 フランス語版は、1871年のパリ・コミューンの際に歌詞がウジェーヌ・ポティエによって作詞され、その後の1888年にピエール・ドジェーテルによって作曲された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB_%28%E6%AD%8C%29

シャーリー・エブド(週刊シャーリー) 2015年1月14日発売

読売新聞 2015年1月15日

朝日新聞 2015年1月16日 斉藤佑介、吉浜織恵

「涙のムハンマド」載せるか…日本の新聞、判断分かれる

「涙のムハンマド」は載せるべきか否か――。仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が14日、銃撃事件後初めて発売した特別号。その風刺画の掲載をめぐって、日本の新聞では判断が分かれた。各紙に取材した。

風刺画は、イスラム教の預言者ムハンマドが目から涙をこぼし、連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」と書いたプラカードを胸に掲げている。特別号の表紙は、この絵に「すべては許される」の見出しがついている。
朝日新聞は15日朝刊で風刺画の掲載を見送った。14日朝刊で長典俊ゼネラルエディターが風刺画掲載の考え方を表明。同日、東京本社で開かれた紙面会議でも15日朝刊に「特別号発売」の記事を掲載するにあたり、風刺画の扱いが議論になった。販売されている場面の写真に絵柄が写り込むのは許容という意見もあった。沢村亙編集長は中東に詳しい記者らと協議し、最終的に見送りを決めた。「紙面に載れば大きさとは関係なく、イスラム教徒が深く傷つく描写だと判断した。たとえ少数者であっても、公の媒体としてやめるべきだと考えた」。記事では絵柄を具体的に説明。イスラム教徒の受け止めも紹介した。

毎日新聞は、現段階で掲載は考えていないという。小川一(はじめ)編集編成局長は15日朝刊で「表現行為に対するテロは決して許されず、言論、表現の自由は最大限尊重されるべきだ。しかし、言論や表現は他者への敬意を忘れてはならない。絵画による預言者の描写を『冒とく』ととらえるイスラム教徒が世界に多数いる以上、掲載には慎重な判断が求められる」と述べた。
読売新聞グループ本社広報部は、風刺画を掲載していない理由について、「表現の自由は最大限尊重すべきものだと考えています。ただし、今回の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通念や状況を考慮しながら判断していきます」とコメントした。
東京新聞は13、14両日の紙面に風刺画を掲載した。「イスラム教を侮辱する意図はない。『表現の自由か、宗教の冒とくか』と提起されている問題の判断材料を読者に提供した」と説明する。14日朝刊では、フランスの風刺文化とイスラム社会の原則との溝の深さを指摘する記事を掲載し、「他者の尊重や文化の違いから生じるトラブルを防ぐ努力を各国が行わなければならない」と報じた。
共同通信は風刺画を配信。「表現の自由をめぐる事件に関連した動きであり、読者の知る権利に応える責務があると判断した」という。産経新聞も14日朝刊で掲載し、「読者に判断してもらう材料として掲載した」。やはり同日朝刊に掲載した日本経済新聞は取材に「記事・写真掲載の経緯や判断は公表していない」と回答した。
一方、ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」は13カ国でトップページへの掲載の対応が分かれた。日本版の高橋浩祐編集長によると、米国本社が世界同時掲載を提案。米、仏、韓国など9カ国が同調したが、日本はトップページでの掲載は見合わせた。高橋編集長は「トップ掲載は、その国の編集方針として支持していることを意味する。表現の自由へのテロに屈しないという趣旨には賛成だが、イスラム教徒にとってムハンマドの肖像画は冒とくにあたり、風刺画は違うと感じた」と話す。(斉藤佑介、吉浜織恵)


〈大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話〉
日本のメディアでは「風刺」が軽んじられ、その評価に一貫性がない。風刺画は市民が社会で感じる漠然とした違和感や疑問を表現するもので、抑圧の体験や歴史から生み出されてきた文化であり知恵だ。ヘイトスピーチとは違う。
欧州では、多様な表現の自由が守られることで社会秩序が保たれると考えられる。日本では表現の自由は尊重するとしながら、社会秩序を乱してまではどうかと考えるメディアがあり対応が割れている。改めて表現の自由や風刺に対する考え方を明確にしてほしい。
〈内藤正典・同志社大教授〈イスラム地域研究〉の話〉
特別号の表紙掲載は見送るのが賢明だ。ただ、あの絵を掲載すべきかどうかは、あくまで非イスラム世界の議論だ。
シャルリー・エブド紙は過去に執拗(しつよう)に預言者ムハンマドをからかう絵を載せてきた。挑発であろうがなかろうが、イスラム教徒は一連の事件と経緯を知っている以上、風刺画は教徒の誰もが見たくない。テレビ局の中には都内の教徒に特別号の表紙を見せて取材する局もあったが、無神経だ。イスラムに対するリテラシーがないのであれば、報道は慎重であって欲しい。

http://www.asahi.com/articles/ASH1H5KP5H1HUTIL03V.html

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