「お役所仕事」

田原総一朗 「平成・日本の官僚」 (1993年)

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読売新聞 2013年8月25日

ホットスポット対策費「あったんですか?」

原発事故の影響で局所的に放射線量の高い「ホットスポット」が見つかった市町村の放射線測定費を国が負担する事業の予算が1円も使われず、過去2年分の約6・4億円が手付かずのままになっている。
窓口となる都道府県からは「そもそも事業の存在を知らない」という声さえあがっており、原子力規制委員会事務局の原子力規制庁は、事業の廃止も視野に必要性について自治体の意向を確認している。
「そんな事業があったんですか?」。東京電力福島第一原発事故の影響で、現在も除染が行われている宮城県の担当者は戸惑いながら話した。同様に除染が続く栃木県の担当者は、「今となっては、自前で測定器を購入している自治体も多い。もっと早く事業を知っていれば、利用する自治体があったかも」と打ち明ける。
問題の事業は国の「放射性物質監視推進事業費」の9割以上を占める放射線測定。ホットスポットが発見された場合、国が民間事業者に放射線測定を委託し、市町村に代わって費用を負担するものだが、1円も使われていない。
原因は、周知不足や省庁間の連携不足、現場の状況を把握していない予算措置にありそうだ。
規制庁は「お金を出す対象を絞り過ぎた」と説明する。事業では当初、原発事故後にできた特措法により、国の財政負担で除染する「除染特別地域」と「汚染状況重点調査地域」を対象から外していた。両地域では、国が除染前後に空間放射線量を測定しているためだ。
だが、事故直後にホットスポットが見つかった市町村は多く、ほとんどが両地域のいずれかに指定された。その結果、12年度に盛り込んだ予算約5・1億円は宙に浮いた。
ただ、両地域では空間の放射線量だけが国の予算で測定される一方、この事業では土壌や水の測定もできるメリットがある。
そこで、文部科学省から事業を引き継いだ規制庁は今年度、予算を年約1・3億円に減額した上で対象地域を事実上無制限にしたが、利用する市町村はまだない。
読売新聞が、特措法指定地域がある東北と関東の8県に今月中旬に聞いたところ、6県の担当者が「存在を知らない」などと答えた。
今年に入っても新たなホットスポットが確認されている岩手県一関市の担当者は、「除染が行われていない地域の農家から『自分の畑を測って』と頼まれることもある。需要がないとは言えない」と、国の周知不足を指摘する。
文科省や規制庁は、事業についてホームページに掲載しただけで、自治体には直接、知らせていない。
規制庁は「ホットスポットが見つかれば国に報告があるはずで、その時点で説明すればいいと判断した」としていたが、来年度予算の概算要求締め切りが今月末に迫ったため、現在、市町村の窓口になる都道府県に電話やメールで事業内容を知らせ、事業利用の必要性や意向を確認し始めた。室石泰弘・規制庁監視情報課長は、「予算が使われていないことは反省している。来年度以降の存廃を検討したい」と話している。
過去に規制庁の外部有識者委員を務めた上智大理工学部の広瀬勝己客員教授(環境放射能)は、「2年にわたり国費を計上した以上、国は事業継続か廃止を問わず“空振り”の原因を分析する責任がある」と話す。

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20130825-00408/1.htm

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映画 「生きる」 (1952年) 監督 黒澤明

ストーリー = 市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらいまわしにされるなど、形式主義がはびこっていた。ある日、体調不良で診察を受けた渡辺は自分が胃癌だと悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコやダンスホール、ストリップなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具工場に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行きあう。何度か食事を共にし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分が工場でつくっている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気付き、次の日市役所に復帰する。それから5ヶ月がたち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜では、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の上司らを相手に粘り強く働きかけ、脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜に完成した公園のブランコに揺られて息をひきとったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など上司たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績を讃え、これまでの自分たちが行ってきたやり方の批判を始めた。通夜の翌日市役所では、通夜の席で渡辺を讃えていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺のつくった新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。(http://ja.wikipedia.org/wiki/生きる_(映画))

Film “Vivre (Ikiru)” (1952) de Akira Kurosawa

Synopsis = Le film se divise en deux grandes parties.
Dès l’introduction, un narrateur explique que le protagoniste est atteint d’un cancer de l’estomac incurable, et qu’il ne lui reste que quelques mois à vivre. Il s’agit de Kenji Watanabe, un fonctionnaire veuf en fin de carrière, responsable d’un département des affaires publiques dans un arrondissement de Tōkyō. Sa fonction se résume à écrire ou tamponner des formulaires, sans la moindre utilité, et il a abandonné depuis longtemps toute initiative. Lors d’une visite chez un médecin (qui tente de lui cacher la vérité), il découvre son cancer, et sait qu’il va bientôt mourir. Ce choc, ainsi que le fait qu’il surprenne son fils (pour qui il pensait avoir sacrifié sa vie après la mort de sa femme) et sa belle-fille parler de ses économies après sa mort, lui fait prendre conscience de l’inanité de la vie qu’il a menée et de l’inutilité totale de son travail. Il abandonne son poste et se met à boire dans les bars. C’est là qu’il rencontre un écrivain, qui tente de lui faire connaître les plaisirs de la vie nocturne. Il rencontre une galerie de personnages hauts en couleur, mais ne parvient pas à se divertir. Dans la rue, il rencontre une jeune collègue qui le cherchait, afin qu’il cachète son formulaire de démission : après un an et demi, elle a décidé d’échapper à la bureaucratie. Son enthousiasme et sa vitalité sont irrésistibles pour Watanabe, et il la convainc de l’accompagner quelque temps (ce qui persuade son fils que Watanabe s’est trouvé une maîtresse, qui va dilapider tout son argent). Lors d’une conversation où il dévoile sa maladie et son désespoir, il finit par trouver l’illumination : il consacrera le restant de sa vie aux autres, en premier lieu les enfants, en utilisant enfin sa position pour accomplir quelque chose. La seconde partie du film se déroule cinq mois plus tard, après la mort de Watanabe, lors de la cérémonie funèbre qui réunit sa famille et ses collègues. Peu à peu, au cours de flashbacks successifs, les circonstances de sa mort et les détails de son dernier combat sont révélés : il s’est consacré à une cause pour laquelle il a déployé toute sa dernière énergie, la création d’un parc municipal à la place d’un terrain vague insalubre. Son combat était rendu très difficile par l’immobilisme de la bureaucratie et les luttes entre les différents services administratifs et, lors de l’inauguration du parc, son rôle a été dénigré par le vice-maire qui présidait la cérémonie. Les circonstances de la mort de Watanabe sont révélées lors d’une des dernières scènes du film. (http://fr.wikipedia.org/wiki/Vivre_(film,_1952))

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