「私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」

11.03.2013

先日、リベラシオン紙(3013年3月11日付)で、こんな表紙になって特集が組まれてた中に、3つの体験談が掲載されてた。

① 「私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」

② 「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」

③ 「われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」

体験談が掲載されてたのは、このページ。

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3つの体験談の内、① 「私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」を訳してみる。

あたしの訳でええよって人は読んでみて。

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オガワラ・リカさん、ピアノ教師 (32歳)

「私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」

放射能が空間にばら撒かれたソノ時、オガワラ・リカさんの生活は一瞬にして吹き飛んだ。32歳の、このピアノ教師は2011年3月11日以前は疑問さえ抱かなかったのにも関わらず。彼女は福島県福島市(FUKUSHIMAは「繁栄の島」という意味)にて、電力会社に勤める夫と2歳の娘チセさんと幸せに暮らしていた。この夢見る彼女は、春になると「新しい季節に芽吹く緑を眺め、のんびりと、その一時」を楽しんでいた。そして、日本国内でも有数の美味しい地方産のお米を美味しく食べていた。

原発事故から2日目、娘と両親と共に、国内で一番北の北海道へ避難したリカさんは「直ちに夫と今後どうするのか話し合いました。わたしは、私は福島に二度と戻ることは無いと言ったんです。しかし夫は、夫はココから避難はしないと言う。私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」っと一瞬にして蘇る当時のことを思い出しながら、涙を堪えながら話してくれました。

今日、彼女が一番後悔するのは、無謀さです。悲しそうに「この日を境に突然生活が一変し、価値観も全て覆されました。例えば私は以前に比べると消費欲求は少なくなりましたし、もっと生活・人生を大事にしなければと思うようになったんです。」っと打ち明けてくれた。

現在リカさんは、東京から2時間離れた山梨で暮らしています。彼女は、彼女と同じく福島から避難してきた男性と出会いました。「彼は8歳になる息子と避難したんです。私たちは全く同じ体験をしていて。全く汚染されていない土地で、新しい生活・人生を再建するために全てを捨てて来たんです。」っと語る彼女、確かに同じ体験をした2人が一番分かり合える。

ところが彼女は罪深き心境を持たざるを得ないでいる。「若い時期には、何ごとも弱者の犠牲なしには、社会は成り立たないと思っていたんです。でも、わたしはソレに対して何もしなかった、そんな私自身が許せないんです。」っと話す彼女にとって、原発、経済、産業、公害、これらは全て繋がっている。

そんな彼女は新しい恋人と共に市民団体で活動している。前回の選挙結果を見た彼女は、自身の国が迷いも無く原発推進派の政治家を選んだことに、裏切られた気持ちになり、「(それでも)最悪なのは、忘れてしまうということです。」っと話した。

聞き手 = L.N.

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