「われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」

11.03.2013

先日、リベラシオン紙(3013年3月11日付)で、こんな表紙になって特集が組まれてた中に、3つの体験談が掲載されてた。

① 「私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」

② 「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」

③ 「われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」

体験談が掲載されてたのは、このページ。

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3つの体験談の内、② 「われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」を訳してみる。

あたしの訳でええよって人は読んでみて。

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サカイ・マサアキさん(34歳)、祖母のマサコさん(85歳)

「われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」

飯舘村の大農家一家には、かれこれ4世代に渡って同じ屋根の共にして暮らしていた人々が居る。このような家族たちには、以前存在していなかった世代間での歪みが生じている。多くの若者たちが、別の場所での新しい生活再建を求める中、年寄りたちが心待ちにしているのは、帰宅だ。それでも、中には家族愛の絆から、離れずにっと生活を続けるものを居る。

サカイ・マサコさん(85歳)と、彼女の34歳の孫のマサアキさんの例が、そうである。多くの友人が避難をした中、この控えめで細長い指をした男性は、愛する祖母を決して放置することは無い。2人は隣接した仮設に住んでいて、マサコさんは娘、つまりマサアキさんの母親と共に住んでいる。3人は共に避難をし、20平方メートルの凍える寒さの木製の小屋に暮らす。その他多くの避難者と同じに、マサコさんは、なぜに自分たちの住んでいた地元に入ることが出来ないのか理解に困っている。彼女は、山に放射能が散乱していることを知っているが、そんなことは気にしない。「もう将来に何も期待してないですから。」っと笑って話した上で、「若い人たちの力なしでは、もはや生きて行けないってのは十分に分ってるんです。今回は、私ら、われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」、「私が最も心配するのはマサアキのことです。」っとお茶を前にして語ってくれた。

東京でデザインを学んだマサアキさんは、後に飯舘村の服飾工場に勤めたが、アノ事故以来、従業員不足が原因で工場は閉鎖した。あの悲しい2011年3月以降、マサアキさんは村の復興のために全力を注ぐことに勤めている。「以前は、政治には興味なかったんです、でもアノ事故が村を破壊させ、世代間での繋がりは失われてしまいました。確かにココから去りたいですけど、そんな事をしても私の解決にはならないんです。確かに私は行きたい所に行けるし、新しい生活を別の場所で始めることも出来るし、でも、心はココにあるんです。全てを捨て去るのは卑怯になるんです。やらなければならない事が山積みなんですよ。」っと、分裂してしまった村を前に、彼は若者たちが発言できる場を作ろうとしている。そんな彼は、地元の政治にもシッカリ関わり、母も、祖母も見捨てることなく、家族3人分の補償金をシッカリと受け取れるように闘うつもりで、「母、祖母を、少しでも幸せにするために守る。」っと話してくれた。

聞き手 = L.N.

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