「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」

11.03.2013

先日、リベラシオン紙(3013年3月11日付)で、こんな表紙になって特集が組まれてた中に、3つの体験談が掲載されてた。

① 「私たちに選択の余地は無く、離婚しました。」

② 「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」

③ 「われわれ年寄りは若い人たちに着いていかなければならない。」

体験談が掲載されてたのは、このページ。

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3つの体験談の内、② 「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」を訳してみる。

あたしの訳でええよって人は読んでみて。

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シガ夫妻ツエコさん(69歳)、オシアキさん(75歳)

「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」

シガさん夫妻は、福島市郊外に建設された避難区域住民のための仮設住宅で生活をしている。仮設住宅ナンバー14。25平方メートルという狭い空間に、群れ育つ豊かな植物と、ほこり付の子供たちが写る写真たち、そして飼い犬のチビと共に暮らすツエコさん(69歳)、オシアキさん(75歳)は、田んぼの丘にあった自宅、今では汚染されてしまった自宅を忘れ去ることが出来ないでいる。「ここは、お隣さんの音が聞こえるし、夏は暑くて、冬は寒いし・・・。」、「親から譲り受け、子供たちに受け継ぐ土地を捨てなきゃならないのは悲しい話ですよ。」っと嘆くのは、70代の健康そうなオシアキさん、彼は木こり、農家、漁師の掛け持ち者。

シガ・オシアキさんは、暇つぶしに、避難者同士で巡回パトロールをしている。7日中7日、24時間中、強盗がうろつくとは思えない中、それでも泥棒が入らないようにと、交代で静まり返った地元を回っている。月に一度は妻のツエコさんも同行し、自宅の掃除、そして留守中に生えまくりやすい雑草の世話を行なっている。

シガ夫妻は、一ヶ月に1000ユーロ(約12万円)の義捐金を受け取っている。ツエコさんは、口元を曲げながら「お金の話、そんなのが問題じゃないんです。」っと言い切り、「言葉で説明するのは難しいけど・・・ココの生活が退屈で、毎日が日曜日のようで。」っと話す。2人の孫を持つコノ祖母にとって、何もしないで腕組しているほど退屈なことは無い。「あそこでは、子牛たちや野菜を育てていたんです。」っと話すツエコさんは、今では週に1、2回、全てを失ってしまった同じ状況にある被災者たちが集まる場所で、体操や手仕事をしている。

帰宅後の環境状態への疑問抜きに、「1年か2年以内には自宅に戻る。」っと決定しているオシアキさん、ツエコさんの2人だが、「でも、スーパーも無くなって、郵便局も無ければ、生活自体が消えてしまった村に帰っても、実際はどうなるのか分らないわけで。」、「とにかく説明受けたのは、うちらの土地は以前とは一変したっとの事で・・・本当に、こんな状況が一刻も早く終わりになって欲しいと願うばかりです。」っと、ため息混じりに話すツエコさん。彼女はは原発から40キロの飯舘村に4世代に渡って生活をしていた。

聞き手 = L.N.

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