トルーマン孫 「核兵器を消滅させることに貢献したい」

先日こんな記事を読んだよ。

記事 = リベラシオン紙(AFP通信社記事掲載)、2012年8月3日付

記事タイトル = 「日本 : トルーマン大統領の孫が広島の生存者達と会った」

この記事は、AFP通信社記事で、タイトルは各メディアで独自につけているものの、全く同じ記事が一斉に報じられてる。で、あたしが読んだのは、そのリベラシオン紙掲載HPバージョンっという分けだ。

リベラシオン紙の記事タイトルには、「トルーマン大統領」って書いてあるけど、もちろん正確には「トルーマン大統領」やよな。

記事を訳してみたので、興味あれば見てや。

っと、その前に・・・リベラシオン紙が掲載した写真が変なことになってるって思ったけど、これ、どゆこと?青いシャツを着てマイク持ってる人の顔が完全に切られてるんだけど・・・これ意識的に切られてる写真を採用したって事なんだな・・・。

ネットで検索したら、顔つきの写真、あったけどね。

例えば、以下はフランス雑誌・エキスプレス誌に掲載された写真。

で、リベラシオン紙に掲載された方の写真は、以下の写真の一部を切り取った形なんやね。

はい、では興味ある人読んでや。

リベラシオン紙(AFP) 2012年8月3日

「日本 : トルーマン大統領の孫が広島の生存者達と会った」

元アメリカ大統領のハーリー・トルーマンの孫のクリフトン・トルーマン・ダニエルさんと広島の生存者の1人、2012年8月3日東京にて。(写真=AFP)

1945年8月6日、9日と、広島と長崎に原爆投下を命じたハーリー・トルーマン米(元)大統領の孫が、今週金曜日、東京にて、あの爆発の生存者と「古い傷を癒す」為に会った。

クリフトン・トルーマン・ダニエルさんは55歳の元ジャーナリストで、毎年行われる、あの二重の悲劇の追悼式に出席するのは、元アメリカ大統領の家系では初の人となる。

毎年、日本南部に位置する2ヶ所には、数十万人もの人々が集まり、その数20万人と言われる被害者への追悼が行われる。

シカゴ在住のトルーマン米(元)大統領の孫は、今回67回目となる追悼式に、日本の脱原発団体からの招待で来日した。

クリフトン・トルーマン・ダニエルさんは、広島、長崎を訪れる前に、数人の生存者達、そして東京大学の学生達と2時間の会談を行った。

記者達のインタビューで、クリフトン・トルーマン・ダニエルさんは、「大変素晴らしい会談でした。私にとって、最も印象深かったのは、我々が一緒になって皆で話し合えたという事、そして、(生存者の方々)あの時の話を共有して下さったことです。」っと語った。

続いてAFP通信に、「古い傷を癒すため、先ずは話す、理解をするという、素晴らしい第一歩でした。」っと話した。

しかし、自身の祖父が取った決断に対して尋ねられると、彼は守りの体制に入り、「私は祖父の態度を推測することはできません。(しかし)戦争において、良い決断というのは決してありません。」、「私の祖父は常に、こう言っていました、アノ決断は、戦争を一刻も早く終らせるための決断だったのだと。祖父は、そう信じていたんです。」っと話した。

クリフトン・トルーマン・ダニエルさんは、「祖父は、兵器による様々な破壊に恐怖を覚えていたんです、そして、残りの彼の大統領職は、このような事が2度と起こらないことに費やそうとしたのです。私は、この世の中から核兵器を消滅させることに貢献したいと願います。」っとも話した。

彼が会談をした生存者達の多くは、肯定的な態度を示した。「彼と実際に会うというのは良いことだと思います。」っと話すのは、ミヤケ・ノブオさん、83歳。

しかし、コバ・コウヘイさん、79歳は、(トルーマンの孫)「彼には責任性はない、遠い親戚と会ったようなものだ。」っと言う。

ヤマダ・レイコさん、77歳は、厳しい見方をする。「私は、彼に知って欲しいです、家族を失った者の中には、(アメリカ)絶対に許すことなど無い人も居るという事を。」

————————————-

この件に関しては、日本語でも報じられている記事を幾つか見た。

ちょっと復習すると・・・トルーマンがアメリカ大統領に就任したのは1945年4月12日。

その過程 = フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)が、1945年4月12日に亡くなったから、跡継ぎという形で、トルーマンが大統領になった。

そして、大統領に就任して、4ヶ月しない内に、「原爆投下を承認」したのが、トルーマン大統領だった。

ところで、トルーマンの孫を招待したという団体は、NPO法人「SADAKO LEGACY(サダコレガシー)」なんですって。

以下は、クリフトン・トルーマン・ダニエルさんの訪問予定表(NPO法人「SADAKO LEGACY(サダコレガシー)」より)。

毎日新聞 2012年8月4日

原爆:トルーマン元米大統領の孫が広島で献花

広島、長崎への原爆投下を承諾したトルーマン元米大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(55)が4日、広島市中区の平和記念公園を訪れた。原爆慰霊碑に献花し、黙とうしたダニエルさんは「若い頃から核兵器はいけないものと考えていたが、その思いを強くした。二度と核兵器が使われないよう自分も貢献したい」と語った。

ダニエルさんは、同公園の「原爆の子の像」のモデル、故佐々木禎子(さだこ)さんの兄、雅弘さん(71)が代表を務めるNPO法人「SADAKO LEGACY(サダコレガシー)」の招きで初来日した。6日の広島、9日の長崎の平和式典に参列する。

この日は、原爆資料館も見学した。その後、広島で被爆した金沢大名誉教授、岩佐幹三(みきそう)さん(83)=千葉県=と面会した。【松井豊】

http://mainichi.jp/select/news/20120805k0000m040058000c.html

以下、AFP記事掲載のリベラシオン紙記事まんま。

Libération – 03/08/2012

Japon: le petit-fils du président Truman rencontre des survivants de Hiroshima

Un petit-fils de l’ancien président américain Harry Truman, Clifton Truman Daniel, et un survivant de Hiroshima, le 3 août 2012 à Tokyo (AFP)

Un petit-fils de l’ancien président américain Harry Truman, qui avait autorisé le lancement des bombes nucléaires sur Hiroshima et Nagasaki les 6 et 9 août 1945, a rencontré vendredi à Tokyo des survivants de ces explosions pour “guérir de vieilles blessures”.

Clifton Truman Daniel, un ancien journaliste âgé de 55 ans, est le premier membre de la famille de l’ex-président à venir au Japon pour assister aux commémorations qui chaque année marquent cette double tragédie.

Tous les ans, des dizaines de milliers de personnes se rassemblent dans ces deux villes du sud du Japon pour se souvenir des victimes, estimées à plus de 200.000.

Pour cette 67e édition, le petit-fils du président Truman, qui vit à Chicago, a été invité par un groupe antinucléaire japonais. Avant de partir pour les deux cités martyres, il est allé pendant deux heures à la rencontre d’une poignée de survivants et d’un groupe d’étudiants d’une université de Tokyo.

“C’était une magnifique réunion. Le plus impressionnant pour moi est que nous ayons pu être tous ensemble et nous parler, et qu’ils (les survivants) aient pu partager leurs histoires”, a déclaré Clifton Truman Daniel à quelques journalistes.

“C’est un beau premier pas pour guérir de vieilles blessures, pour se parler et se comprendre. C’est ce que nous cherchons à faire”, a-t-il déclaré à l’AFP.

Interrogé sur la décision prise par son grand-père, il a toutefois défendu ce dernier. “Je ne peux pas spéculer sur l’attitude de mon grand-père (mais) il n’y a jamais de bonnes décisions dans les guerres”. “Mon grand-père a toujours dit qu’il avait pris cette décision pour mettre fin rapidement à la guerre. C’était ce qu’il croyait”.

“Mon grand-père a été horrifié par les destructions causées par ces armes et a consacré le reste de sa présidence à essayer de faire en sorte que cela n’arrive plus jamais. J’espère que je peux contribuer à débarrasser le monde des armes nucléaires”, a dit Clifton Truman Daniel.

Les survivants qu’il a rencontrés se sont en général montré positifs. “c’est une bonne chose de le voir”, témoigne Nobuo Miyake, 83 ans, tandis que pour Kohei Koba, 79 ans, le petit-fils de Truman “n’a pas de responsabilité, c’est comme si je rencontrais un parent éloigné”.

Mais Reiko Yamada, une femme de 77 ans, est plus dure: “je voudrais qu’il sache que certains de ceux qui ont perdu leurs familles ne pardonneront jamais (les Etats-unis).

http://www.liberation.fr/depeches/2012/08/03/japon-le-petit-fils-du-president-truman-rencontre-des-survivants-de-hiroshima_837491

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