奴隷根性万歳

「夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学」 大澤 真幸 

岩波新書 2012年3月7日出版

内容紹介 = 「不可能性の時代」に起きた3・11の二つの惨事は、私たちに何を問うているのか。日本で、脱原発が一向に進まないのはなぜなのか。そもそもなぜこれほど多数の原発が日本列島において建設されてきたのか。圧倒的な破局を内に秘めた社会を変えていくための方法とは? オリジナルな思考を続ける著者渾身の根源的な考察。

毎日新聞 2012年7月17日

福島第1原発:16歳少年が作業…東電発表

東京電力は17日、福島第1原発の放射線管理区域内で、当時16歳の少年が昨年5〜6月に作業していたと発表した。同原発の収束作業で18歳未満の就労が確認されたのは2人目。労働基準法では、放射線管理区域内での18歳未満の労働を禁止している。東電は同日、労働基準監督署や経済産業省原子力安全・保安院へ報告した。

東電によると、少年は昨年5月27日から6日間、同原発で被災車両の解体を担当。少年の親族が書類を提出する際、少年の生年月日を偽って記入したという。作業期間中の放射線量は0.45ミリシーベルトで、健康に問題はないとしている。【中西拓司】

http://mainichi.jp/select/news/20120718k0000m040087000c.html

東京新聞 2012年7月27日

福島第一元作業員「賃金、手当ピンハネ」 労働局に訴え「多重派遣」も

東京電力福島第一原発事故の収束作業に携わった長崎県出身の元作業員男性(45)が二十六日、下請け上位の日栄動力工業(東京都港区)が職業安定法と労働者派遣法に違反する多重派遣をしていたとして東京労働局に訴え出た。二十七日には、多重派遣のほか約束された賃金が支払われていないとして、長崎県内の下請け会社四社を長崎労働局などに訴え出る。

男性は昨年七月一日~八月九日、福島第一で事故収束作業に従事していた。弁護団などによると、男性に仕事を紹介し、給料を支払っていたのは前田工業(長崎県松浦市)だが、放射線管理手帳上の所属会社は、大和エンジニアリングサービス(同県佐世保市)になっていた。

両社の間には、佐世保市の創和工業と福田工業が介在し、上には、日栄動力工業がある複雑な下請けの流れになっていた。

下請けを繰り返す中で、大和エンジニアリングは日当と危険手当の計二万四千~二万五千円を下請けに支払ったが、男性には一万千円しか支払われていなかったという。

男性は「何重もの下請け構造は不当だ。約束された日当も支払われず、危険手当もピンハネされた」と訴えている。

本紙の取材に対し、大和エンジニアリングは「請負契約であり、多重派遣ではない。下請け会社には危険手当を含めた金額を支払った」と説明。前田工業は「上にたくさんの会社があるとは知らなかった」と話している。

◆建屋外と事前説明/実は高線量要員

福島第一原発の収束作業で危険手当の未払いなどを申し立てる元作業員の男性は、本紙の取材に、原発の建屋外の作業だと説明されていたことや、被ばくの恐怖と闘いながらの作業だったのに正当な手当が支払われない怒りを語った。

二十キロの鉛板を入れたリュックサックを背負い、防護服に全面マスクを着け、1号機原子炉建屋の急階段をビル六階の高さまで駆け上がる。線量計の警報は鳴りっぱなし。緊張と息苦しさで心臓が破裂しそうになる。「早く終われ、早く終われ」。男性は心の中でつぶやき続けた。

昨年七月に携わった作業を男性が振り返った。建屋内にいたのは十分弱だったのに、二・四ミリシーベルトも被ばくした。一般人の年間被ばく上限の二倍以上もの線量だ。建屋内に局所的に線量が極めて高い場所があることなどが影響したとみられる。このほか男性は高濃度汚染水を処理するための配管作業など、被ばく線量の高い作業に当たった。福島第一での作業は一カ月あまりだったが、この間に計約一二・三ミリシーベルトも被ばくした。

原発作業員の被ばく上限は五年間で一〇〇ミリシーベルト。年平均二〇ミリシーベルトが作業員の手持ち線量だ。男性の場合、わずか一カ月で半年分を使ったことになる。

下請け会社も自社の社員が線量を使い切ってしまうと、次の仕事を取りにくい。そこで男性のように臨時の作業員を雇うケースが出てくる。男性は「自分が(被ばく線量の高い作業を短期で担う)高線量要員だったことを後で知った」と話し、「約束した賃金は少なくとも払ってほしい」と訴えた。 (片山夏子)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012072702000095.html

毎日新聞 2012年7月27日

特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 社会学者・大澤真幸さん

<この国はどこへ行こうとしているのか>

◇「無意識」と向き合おう−−大澤真幸さん(53) 

大澤真幸さん=須賀川理撮影

梅雨明け宣言の暑い日、東京・世田谷の自宅を訪ねると、社会学者、大澤真幸さんはカンカン照りの路地で待っていた。こんな言い方は失礼かもしれないが、80年代のアイドル歌手に似た愛らしい感じの人だ。時代や社会を論じる知識人というと、怖いイメージだが、中低音のよく響く語り口は「マイルド」という言葉がふさわしい。

新著「夢よりも深い覚醒へ3・11後の哲学」(岩波新書)で脱原発を説いた。フロイトの夢のエピソードを比喩に、悪夢(原発事故)から逃げることで表面的に安心せず、悪夢の意味を解釈し夢を突き抜ける方向へと目覚めよ、と説く。

福島第1原発の水素爆発の映像は、日本のみならず世界に、9・11を上回るほどの影響を与えた。災害の後、国民の間に共同体意識が生まれ、革命的な変化をもたらしてきた世界各地の歴史を例に時代を考察する大澤さんは、いまをどうとらえているのか。

まずは、福島第1原発事故を知った時の直感を聞くと、「自分も含め日本の学者たちの反応は鈍かった」と率直に語る。昨年3月12日に思想家、柄谷行 人さんが主催する現代思想の定例会のエピソードを紹介してくれた。「予定通りの発表、飲み会の中で、なぜか原発は話題になりませんでした。ネットのニュー スで1号機の爆発を知っていたんですが、誰も原発について深く話さなかった。自分自身、こんなに大きなことになると気づかなかった」

事件の意味を即座に伝えるのがジャーナリズムなら、アカデミズムにその使命はない。時間をかけ意味を探るのが知識人と言えるが、大澤さんは自分を含めた学者の鈍さにばつの悪さが残った。底にあったのは共犯者意識だ。

「事故直後、私も脱原発を進めるべきだと考えましたが、非常に複雑な思いというか……。外国の知識人 は、被爆国=反核のはずなのに、あれほど原発を持っているのは矛盾だと指摘しました。確かに矛盾と言えば矛盾ですが、日本人は長年、屈折した心理で原子力 に肩入れしてきたことがあると思うんですね。だから、事故が起きたとき、単に運が悪かった、技術に問題があったでは終わらない。自分自身もあらゆることを テーマに社会を分析してきながら、原発に強く反対せず、その意味を把握してこなかったことに責任を感じました。被害者ではなく自分もある種の責任者。戦争 に加担しなくても戦争責任はある、みたいな」

だからこそ「敗戦時の日本の知識人のように、原子力を語る責任がある」と感じた。

歴史を見ずに国の未来は見えない。大澤さんは、1953年のアイゼンハワー米大統領(当時)による核の平和利用提案で動きだした日本の原子力導入の歴史を掘り下げた。「核武装のための技術推進だと言う人もいますが、もっと漠然と、原子力を我が物とすることが、日本人の失われたプライドを取り戻すのに必要だったんです。原爆を落とされた劣等感と、アメリカの手のひらの上に乗せられる屈辱を乗り越えるには、原子力を自分のものにしようと……」

劣等感は同じ敗戦国でもドイツ、イタリアの比ではなかった。「ナチズムもイタリアのファシズムも否定されましたが、否定した連合国側も西欧の価値観の中にいたので(自分たちの価値のせめぎ合いという形で)自己反省すればよかった。でも日本の場合、米国という外部の科学技術で自分たちの価値観を完全に壊され、何も残らなかった。だから何かを取りにいかなくてはならなかった」。それが核だったという説だ。

「敗戦のとき、日本の知識人、柳田国男と折口信夫が、日本人はこの先何を精神的よりどころにすべきかを説いた。柳田は天皇より前からある祖先崇拝、多神教を。折口は日本も西洋に匹敵する一神教、古事記より古い宗教に帰れと訴えた。だが、社会は宗教には戻らず、精神の空洞を技術や経済で埋めようとした」

まずは経済大国、科学大国を目指した戦後の日本人の心理を大澤さんはこうたとえる。「学校にいるじゃないですか。目立たずカリスマもないけど、ふと成績を見てみるといつも5番以内にいるというような生徒。そんな生徒にとって、原子力が希望の光になったんだと思います」

3・11後に反原発に転換したものの、日本の被爆者団体も長く原発を支持してきた。

「広島と長崎の人々が強く反対しなかったのは、日本人の劣等感がはっきり表れた結果です。そしてヒロシマ・ナガサキは日本人が意識している以上の国民体験になっている。唯一の被爆国であるという悲しい歴史に自分を当てはめ、誇り、アイデンティティーにしてきた。被害自体はつらいことでも、前向きな心のよりどころになることはよくあります。だから原子力導入は、推進した読売新聞社主の正力松太郎氏のせいじゃなく、日本人の無意識の戦略だったんです」

無意識は、大澤さんが近著で使うキーワード、夢に重なる。夢を左右するように、無意識が日本人を突き動かしてきたということなのか。「その無意識の表れとして、日本人は拒んでいいはずの核を自ら進んで抱きかかえた。だから、nuclearという同じものを悪いときは核と呼び、良いときは原子力と呼んだんです。それは、心の合理化。矛盾したことを求めるとき、その矛盾を隠すため、無意識に言葉を使い分けたんです」

3・11後、ドイツ、イタリアなど欧州諸国は即座に脱原発を決めた。だが、「屈折した日本」は何事もすんなりいかない。昨年夏、菅直人首相(当時)が脱原発を表明したのに、支持率が上がらなかったのもその一つと大澤さんは言う。「日本人全体が迷っている時、首相が脱原発を主張すると、迷っているのにやめてくれという感じでした。首相が意見を言うのは良いことなのに、日本は何事もはっきりと言うとダメなんです」

それに「もし原発が安全なら、原発設置自治体への交付金は出す必要がない。廃止すべきなのに、広く論議されない」。原発を始めた動機と同様、日本社会の変化はどこかねじれている。

「デモという意見表明は良いことなのに、日本ではそう考えないところがある。デモが暴徒化して街を荒らすのなら別ですが、平和的なデモを支えていく雰囲気がこの国にはない。警察は暴走族を取り締まるみたいに、デモはない方がいいという扱いをする。メディアのデモ報道も事実を伝えるだけ。あれほどの規模なのに大きく報じないのは問題だと思いますね」

人に無意識があるように、社会に無意識があるとすれば、それは今どんなふうに変わっているのだろうか。【藤原章生】

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◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を

t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

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■人物略歴

◇おおさわ・まさち

1958年長野県松本市生まれ。東大博士課程修了後、千葉大助教授、京大教授を歴任。主著に「ナショナリズムの由来」、「ふしぎなキリスト教」(共著)。個人思想誌「THINKING『O』」(左右社)主宰。

http://mainichi.jp/feature/news/20120727dde012040013000c.html

http://mainichi.jp/feature/news/20120727dde012040013000c2.html

http://mainichi.jp/feature/news/20120727dde012040013000c3.html

http://mainichi.jp/feature/news/20120727dde012040013000c4.html

http://mainichi.jp/feature/news/20120727dde012040013000c5.html

http://mainichi.jp/feature/news/20120727dde012040013000c6.html

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