万事快調?! – Tout va bien?!

今日見かけた記事だよ。

記事 = ソーヌ=エ=ロワール(Saône-et-Loire)新聞、2012年2月27日付

記事タイトル = 「彼らのその後は?日本人たちは怖がっていない」

メモ ソーヌ=エ=ロワール(Saône-et-Loire) = フランスのブルゴーニュ地方

以下、記事訳してみたんで、あたしの訳で良ければ読んでや。

ソーヌ=エ=ロワール新聞、2012年2月27日付

「彼らのその後は?日本人たちは怖がっていない」

記者 = マリオン・ギオゥーズ

ジェニフェー・サーヴさん(25歳)はモンソー(Montceau)出身。写真=M. G.

日本に移住して3年のジェニフェー・サーヴさんは、2011年3月11日のアノ津波を実体験しました。在日フランス大使館に急かされて、サーヴさんはフランスに緊急帰国をし一ヶ月滞在した後に、また日本へ戻りました。

「私が4月17日に日本に帰った際、全て平常時に戻っていました。今でも幾つかの建物には修復作業が必要ですが、一般的な生活は平常通りなんです。」とジェニフェー・サーヴさんは言う。モンソー出身の彼女は東京から西(福島から100km)に位置する企業で働き、今でもソコで、昨年ここに、あの3月11日の大惨事が襲った同じ場所だとは感じられません。

「立ち入り禁止区域」

確かに、あの巨大津波が2万7000人の命を奪い、15万人が住まいを失い、あの原発事故のあった現場から半径20kmは「立ち入り禁止区域」と定められたのです。「でも、日本人たちは怖がっていないんです。とにかく、彼らは原発事故による放射能の危険性については発言していません。彼らは危険な地域の人々は全て避難済みだと言うばかりです。」っとサーヴさん。福島近郊から入荷されてくる肉や野菜を食べることの危険性を知ってもらおうと、警告しているのは、ほんの幾つかの環境団体だけです。

日本のアノ原発事故が、世界中の原子力発電所の無謬性問題を提起したにも関わらず、日本人は厳律な態度を保っています。ジェニフェーさんは「もう直ぐアレから1年なので、近頃は皆また少しは話題を出すようになっています、でも国全体的にはトラウマになった様子も無く、人々は、いつものように出かけたりしているんですよ。」と付け加えた。企業によっては以前より高い危機管理を求め、避難訓練を行いました。彼女の話に寄ると、今後4~5年の間に同規模の地震が起きる可能性を予測している専門家も居るという。しかし、日本国民たちにとって、今のところ万時快調という事だ。

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今日、文部科学省はこんな資料を発表したよね。

PDF

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ピチカート・ファイヴ 「万事快調」 (1992年)

Pizzicato Five “Tout Va Bien” (1992)

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以下、ソーヌ=エ=ロワール(Saône-et-Loire)新聞の元記事まんま。

Le Journal de Saône et Loire – 27/02/2012

que sont-ils devenus ? « Les Japonais n’ont pas peur »

par Marion Giouse

Jennifer Save, 25 ans est originaire de Montceau. Photo M. G.

Jennifer Save, expatriée au Japon depuis 3 ans, a vécu en direct le tsunami du 11 mars 2011. Pressée par l’ambassade de France, elle était rentrée un mois en France avant de repartir.

Quand je suis repartie au Japon le 17 avril, tout était déjà redevenu normal. Aujourd’hui, certains bâtiments sont encore en réparation mais la vie a complètement repris son cours », explique Jennifer Save. La jeune Montcellienne qui travaille toujours dans une société de production à l’ouest de Tokyo (à 100 km de Fukushima), soutient que sur place, rien ne laisse deviner les ravages causés par la catastrophe du 11 mars dernier.

« Zone interdite »

Pourtant, le puissant tsunami a causé 27 000 morts, 150 000 sans abris, et la mise en place « d’une zone interdite » dans un rayon de 20 km autour de la centrale nucléaire accidentée. « Mais les Japonais n’ont pas peur. En tout cas, ils n’expriment pas de crainte par rapport aux risques de radiation nucléaire. Ils se disent que les zones dangereuses ont été évacuées », argumente la jeune expatriée. Seules quelques associations écologistes manifestent pour sensibiliser les Japonais aux dangers de consommer de la viande et des légumes provenant des zones proches de Fukushima.

Alors que la catastrophe nipponne a posé partout dans le monde la question de l’infaillibilité des centrales nucléaires, les Japonais restent stoïques. « C’est vrai qu’en ce moment, on recommence à en parler parce que c’est bientôt le jour anniversaire mais le pays n’a pas été traumatisé et les gens sortent toujours autant », souligne Jennifer. La prévention a tout de même été renforcée avec des exercices d’évacuation menés dans les entreprises. La Française rapporte que les experts prévoient un autre tremblement de terre d’envergure dans 4 ou 5 ans. Mais pour la population, jusqu’ici tout va bien.

http://www.lejsl.com/saone-et-loire/2012/02/27/les-japonais-n-ont-pas-peur

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NHKニュース 2012年2月26日

東京電力福島第一原子力発電所上空の飛行禁止区域が半径3キロに縮小されたことから、26日、NHKのヘリコプターが原発近くの上空を事故後初めて飛行し、上空から、水素爆発で骨組みがむきだしになった原子炉建屋や作業員の様子がはっきりと確認できました。一方、原発周辺の立ち入りが制限されている警戒区域では、住宅などがそのまま残されていますが、住民の姿はなく、暮らしが消えた町並みが続いていました。福島第一原発上空の飛行禁止区域は、これまで半径20キロとされていましたが、国土交通省が上空の放射線量を測定した結果、飛行の安全性に問題はないと判断し、25日から半径3キロに縮小されました。NHKのヘリコプターは、26日午前、福島第一原発からおよそ4キロの高度700メートル付近を事故後、初めて飛行しました。
上空からは、水素爆発を起こした3号機の原子炉建屋の骨組みがぐにゃりと曲がっている様子や、爆発で壁が崩れ落ちた4号機の原子炉建屋の中から、格納容器の黄色い上ぶたがむきだしになっているのがはっきりと見え、建屋の5階付近を防護服を着た作業員が歩いている姿も確認できました。また、原発の専用港では、クレーンがついた作業船の上に白い防護服を着た10人ほどの作業員が乗り込み、海底の泥に含まれる放射性物質が沖合に広がるのを防ぐため、海底をセメントや粘土で覆う工事が進められていました。福島第一原発は、去年12月に政府が「冷温停止状態」を宣言したあとも、原子炉の注水ポンプや配管などで水漏れが相次いでいますが、原発の敷地西側には汚染水を保管する灰色や青色の鋼鉄製のタンクおよそ1000基が立ち並び、大量の汚染水を処理する困難な作業の一端が伺えました。
一方、原発周辺の、立ち入りが制限されている半径20キロの警戒区域では、住宅や店舗などがそのまま残されていますが、住民や働く人の姿はなく、暮らしが消えた町並みが広い範囲で続いていました。このうち、福島第一原発がある大熊町の町営の野球場は、国の事業で行った除染で発生した土などを保管する仮置き場になっていて、シートを引いた地面の上で、作業員が土を積み上げる作業を続けていました。また、原発の南側の富岡町では、住宅や大型店舗それに学校などが無人のまま使われない状態で残れていたほか、JR常磐線の富岡駅の周辺でも、崩れた建物や草に覆われた状態の線路が、放置されていました。さらに、原発の北側の浪江町の請戸漁港周辺では、津波の被害を受けた施設や陸に乗り上げた船がそのままになっていて、原発事故の被害の大きさを改めて感じさせていました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120226/t10013292101000.html

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NHKニュース 2012年2月27日

“東京でも避難必要”の危機感も

東京電力福島第一原子力発電所の事故の検証を進めてきた民間の事故調査委員会が、28日、報告書を公表します。
この中では、政府内部で事故直後から被害拡大への危機感が強まり、当時の枝野官房長官も「東京でも避難が必要になる『悪魔の連鎖』が起きるおそれがあると思った。そうならないよう押さえ込まなければいけないと考えていた」と心境を明かしていることが分かりました。


エネルギー問題の専門家や元検事総長ら6人の有識者が委員を務め、国から独立した立場で原発事故の調査を進めていた民間事故調=「福島原発事故独立検証委員会」は、去年の9月から半年間にわたって日米の政府関係者らおよそ300人に聞き取りなどを行ってきました。


28日に公表される報告書によりますと、事故の3日後の去年3月14日には、福島第一原発の当時の吉田昌郎所長から「炉心の溶融が進み、燃料が溶け落ちる可能性が高まった」との情報が当時の細野総理大臣補佐官に伝えられ、官邸や専門家の間に強い危機感が広がったということです。
福島第一原発では、3月14日から15日にかけて2号機の核燃料が冷却水から露出して破損し、圧力抑制室から大量の放射性物質が外部に放出されたとみられています。
当時、官房長官として政府のスポークスマンを務めた枝野経済産業大臣は、このころを振り返り「核燃料が露出する状態が続けば、多くの放射性物質が漏れて作業員が立ち入れなくなる。近くの福島第二原発など、ほかの原発にも影響が広がって最終的には東京でも避難が必要になるという『悪魔の連鎖』が起きるおそれがあると思った。そうならないよう事故を押さえ込まなければいけないと考えていた」と心境を明かしていることが分かりました。


そのうえで、「こうしたシナリオは官邸で共有されていた」と述べているということです。
官邸が描いていた最悪のシナリオが当時、表に出ることはありませんでした。
政府の情報発信について民間事故調は報告書の中で、「迅速な情報開示と、正確性の確保という2つの要請のせめぎ合いの中で試行錯誤していた様子がうかがえる」と分析し、今後、議論を進める必要があると指摘しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120227/k10013322662000.html

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