怖いデモ、穏やかなデモ

みんなああああああああ、生きてる?

今日も贅沢に新鮮な記事を頂いた、ごちそうさまでした。

あ、記事を送ってくださった方に感謝申し上げまっす☆

えっと、ツッコミどころ満載の記事で・・・記事タイトル見て、読み出し、読み終わっても・・・はあああああああっ??って、顔がこんなになったんだけどぉ。(笑)

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はい、問題の記事は、これで、東京新聞2011年11月5日付の夕刊文化面より。

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この記事に出てくる早稲田文学フリーペーパーWBに朝吹真理子さんが書かれたものを送ってくれた人がいたので、このページの一番最後に置いておくぅぅっ☆

3月11日以降、あたしは、数人のフランス人に言われたことがあるよ。

● 「なんで、原発が爆発して、あんな事態になっているのに日本人は怒らないんだ?」 ←いやいや、怒っている人、一杯おるんやってばって言っておいた。

● 「デモをやっても、なんで、あんなに冷静なんだ?行儀が良すぎるんだ?」 ←いやいや、めっちゃ怒りでドえらく冷静でなんかいられない人々はおるんやってばって言っておいた。

● 「なんで、道幅一杯に広がって、占領してデモしねぇんだ?」 ←うんと・・・日本の警察がそういう「管理」をしているからじゃね?っつっといた、取りあえず。

っというように、日本のデモの様子を新聞やネット(写真・ビデオ)で見て、日本のデモって、ヤベぇ~(悪い意味で)とか、怖い~とかいう感想を持つ人に会った事がない、今まで1人も。

上に●で、3つ例を出したように、どちらかと言えば、「穏やか」なデモの様子に、理解が示せないというか、困惑する、戸惑う人の方が多いんだわ。

うんうん、確かにフランスの幾つかのデモを見て、あたしも参加した経験からしても、日本のデモとは違う、うんうん、だから、この人たちの言わんとしている事は良く分かる。

それから、デモは「穏やか」であるべきだというフランス人には、会ったことがない。

穏やか」だと・・・ソレは「デモ」とは呼ばないかもな・・・こっちの人たち・・・。

「はああ?穏やかなデモ?ソレはデモじゃなくて集会じゃね?」っとか言いそうだわ。←今度、確認してみるぅぅっ!

注意したいのは、「穏やかではない」 = 「暴力的」 ではないよね、だから、「暴力反対」で意見一致しても、「穏やかなデモ」には、むしろ反対の声が上がると思う。

「穏やか」では「抗議行動」にはならないからっという事で。

さて、記事タイトルに、「怖くないデモ」ってあるけど・・・語源由来辞典で見てみると、こう書かれてある。

怖い (こわい)
【意味】 怖いとは、(怖い・恐ろしい)危害を加えられそうで不安だ。悪い結果が出そうで不安だ。気味が悪い。おそろしい。(強い)かたくて扱いにくい。強情だ。

電力会社を揶揄する、中傷するプラカードは、果たして「怖い」だろうか?

プラカードのメッセージが何であれ、「危害を加えられそうで不安」を人々に与えるのか?

プラカードって、そんなに怖いものだっけ?え?(笑)

朝吹真理子(あさぶき・まりこ)さんは、「それが通行人に『怖い』と思われてしまうのではないかと懸念」しているのだから、朝吹さんが、通行人の立場になって、というか・・・朝吹さん自身もデモに参加しているんだから、参加していない通行人、つまりは、外からデモを眺める人の目を気にして、こうした発言をしている分けなんだけど。

朝吹さん自身も、「電力会社には強い怒りを感じる」っということだけど、その怒りって、どんな程度っていうか、どんな温度の怒りだったんだろう?って疑問に思う。

また、「参加者が感情だけで繋がり合おうとすることにも懐疑的」って・・・は?どこの、どの参加者を見て、話を聞いて、「感情だけで繋がり合おう」としていると、判断してるんだろう?

で、「ひととひととのやりとり」(←記事上では、ココが、「ひらがな」だらけな意味がよう分からんっ。笑)=「人と人とのやり取り」が、「デモを通じてなされること」っておっしゃってるけど、「人と人とのやり取り」なされてませんかぁ~朝吹さ~ん?

デモに参加された、朝吹さんは、「人と人とのやり取り」しなかったの?

そんなに、あなたの周りの人は、「人と人とのやり取り」してなかった?って見受けられたの?

例えばよ、例えばの話で、はい、通りがかりの人が、デモに遭遇しましたと、はい、プラカード一杯持ってる人がいて、色んなメッセージを言ったり、見せたりしている人がいると、で、そん中の一部のプラカードには、「電力会社への強い怒り」と共に、「電力会社を揶揄する、中傷する」ものがあると、で、通行人の一部の人は、ソレを見て、「怖い」っと思ったとすると・・・でもさ、コレも「人と人とのやり取り」だと、あたしは思うよ。

あと、東京電力の社員も、原子力村の人々も、「ひと」な分けで、その「ひと」に向けたメッセージを書いてプラカードという形を取って、それを持ちながら、デモに参加をし、歩き・・・という行動は、(怖い・恐ろしい)危害を加えられそうで不安だ。悪い結果が出そうで不安だ。気味が悪い。おそろしい。(強い)かたくて扱いにくい。強情だ。ですか?

そんな朝吹さんの言葉に、東京新聞の、この記事主の(典)さんは、こう言っていて、あたしは、またアノ顔(上に載せたアノ顔ねッ☆)になったわ、呆れた。

かつての労働運動、学生運動が盛んだった当時を知る人には生ぬるいかもしれないが、現代的なデモが目指すところをうまく言い当てている気がした。

はああああああ???

この文面から察して、記事主の(典)さんは、「かつての労働運動、学生運動が盛んだった当時を知」らない人なんだと分かるわけだけど、あたしも、その当時を知らないけど、コレはねぇぇえええんじゃね?って思ったから。

あとさ、「現代的なデモが目指す」って言ってらっしゃるけど、こんなの聞いたことねぇんだわ、「現代的なデモ」?なんだソレッ!!!

自己申告してらっしゃるけど、ほんと「生ぬるい」よね言ってることがさッ!!!

朝吹さんも、この記事の主も、お2人とも、世界各国で起きているデモの状況を、本当に見て、こういう事を言ってるのか?って思えてならなく、「生ぬるい」にも程があるって思った。

怖くも感情的でもない」デモを夢見る・・・という記事の締めくくりになっているけど、原発事故以前も、以降も、日本で行われている様々な問題を訴えるデモで、「怖くて感情的なデモ」って、そもそも、海外のソレに比べると、あまりにも静かで、あまりにも礼儀正しく、あまりにも綺麗に皆整列して歩いていて、不当な逮捕者が出ても8人っとかいうデモ・・・それが、「怖くて感情的なデモ」だろうか?

もっと、日本の外で、他の国々で起きている状況を勉強した方が良いのでは?その同じことを、海外でも言ってみて返ってくる反応を踏まえて、あらためて、その「現代的なデモ」?(なんだソレッ!!!)とやらを、書かれていただきたいって思った。

ちなみに今日11月5日、東京で行われた「脱原発」デモの様子がココで見れるね。

朝吹真理子さんは、第144回芥川龍之介賞(平成22年度下半期)受賞者で、お父さんが、朝吹亮二(あさぶき・りょうじ)さんという、日本のフランス文学者、詩人という方なんですね。

あたしは、お2人の本は一度も読んだことありません。

朝吹さんのお父さんも朝吹さん自身も、ウィキペディアにページがあるんだけど、お父さんの略歴見て吹いた。

略歴

1952年 – 誕生。
1975年 – 慶應義塾大学文学部卒業。
1979年 – 慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。
1982年 – 慶應塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
1983年 – 慶應義塾大学法学部講師。
1990年 – 慶應義塾大学法学部助教授。
1997年 – 慶應義塾大学法学部教授。

なんか、すげぇぇ・・・人生=慶應義塾大学って感じ。

あたしは、慶應義塾大学ってのは、名前は聞いたことあるけど、どんな所なのかも、何処にあるのかも知らないし、あんま興味ないわ、でも、この略歴って・・・吹いた。

朝吹真理子さんのお父さんは、フランス文学者っということだから、フランスの革命運動などにも詳しい方なのではないかと思うよ、だから、お父さんにフランスの革命運動のことや、デモのことなど聞いてみたりしてないのか?

日本のデモが「怖い」という印象を通行人が持つんではないか?とか言う前にさ・・・。

新潮社のShincho LIVE! 芥川賞作家特別対談「朝吹真理子×西村賢太」予告編 っというのがあった。

ぶっははははははあ、なんだコレ?

絵に描いたような「美女と野獣」?的なプロモーションビデオで、朝吹真理子さんにいたっては、日本に独特の?「美貌女流作家」って出版宣伝をする記者や業界の人が書きたがる匂いプンプンして、カメラワークが、もろグラビアアイドルの安いプロモーション撮影レベルだしィ!!

出版社が、本売りたさに、ココまで「販売戦略」するような時代になったのか・・・。

芥川賞作家の2人も、良くコレを認めたよなって思うけどね、あ・た・し・はね。

あとさ、朝吹真理子さんって、作家さんだから、書かれる内容は「幻想幻想幻想」でも全く持って問題はないんだけど、現実の世界でも「幻想」の中で生きている人なのかな?って、このプロモーションビデオを見て思った。

だから、プラカードが「怖い」って・・・コレで、辻褄が合うのかも。(苦笑)

もうちょっと、世界で起きている様子を見てから、「それが通行人に『怖い』と思われてしまうのではないかと懸念」・・・とか、発言をされるのが良いんでは?

朝吹真理子さんは、実を言うと、プラカードを持っている人々ではなく、デモに参加をしている自分自身を見かけた通行人に、「『怖い』と思われてしまうのではないかと懸念」しているのではないだろうか?違う?

他人の目を気にし過ぎると思うし、ソレは自己規制、自己監視、自己隠蔽に繋がると思うよ。

記事主も書いているように、デモが本当に「参加者自身の決意表明の場」であるのなら、ソコは、自己規制、自己監視、自己隠蔽する場ではないよね。

朝吹真理子さんも、「電力会社には強い怒りを感じる」んだったら、ソレを表現すればいいし、そういう気持ちでデモに参加したんじゃないの?え?

そんな朝吹さんに、あたしは、マハトマ・ガンジーの言葉と、超素敵な1曲を贈るよ。

じゃぁぁぁああああねっ☆

はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうしてわれわれは勝つのだ。」  (マハトマ・ガンジー)

“Anarchy in the U.K.” (1976)  The Sex Pistols

追記 2011年11月15日

早稲田文学フリーペーパーWB内の「日直から。」っという連載コーナーに、朝吹さんは執筆されていて、東京新聞の記事に出てきてたのは、ズバリこれッ☆

送ってくださった方に感謝申し上げます。

↓     ↓     ↓

「WB」WASEDA bungaku FreePaper vol.024_2011_fall

連載 『日直から。』 = 「さよなら ひさしいさよならを」 朝吹真理子

追記

東京新聞 2012年1月21日

東京新聞 2012年3月18日

記事を送ってくださった方に感謝申し上げます☆

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