空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。

2011年8月6日(土) 午後9時00分~9時58分 総合テレビ

原爆投下
活(い)かされなかった極秘情報

広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。

2010年8月6日(金) 午後10時00分~10時54分
総合テレビ

封印された原爆報告書

アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。国を代表する医師や科学者らが参加した。調査は、終戦直後から2年にわたって行われたが、その結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカへと渡されていたのだ。

なぜ貴重な資料が、被爆者のために活かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、NHKでは初めて181冊の報告書すべてを入手。調査にあたった関係者などへの取材から、その背後にある日米の知られざる思惑が浮かび上がってきた。

番組では報告書に埋もれていた原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本がどのように被爆の現実と向き合ってきたのか検証する。

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● 曖昧な科学で遅れた放射線「ホットスポット」飯舘村の避難区域指定

記者: Yuka Hayashi  (2011年 8月 16日  ウォール・ストリート・ジャーナル)

● 不吉な放射能拡散予測―住民避難に生かせなかった日本政府

記者: Yuka Hayashi     2011年 8月 17日 ウォール・ストリート・ジャーナル

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追記

以下の記事=「拡散予測 先に米軍へ」っていうのを読むとさ、ほらね、やっぱり警報は鳴らされなかったとしか言いようが無い。

そして、情報を先に米軍へ・・・それってさ、広島の原爆投下後、原爆について、被爆症状について話す事を禁じた日本政府・・・そして被爆患者の情報の多くが患者には知らされずに、「資料」として今でもアメリカに保管されてるんだってね。

アノ時代と一緒の事が、2011年にも行われたっとしか、理解の仕様が無いと思うよ。

ついでに、右側の記事では、日の丸・君が代を拒否すると「処分」されるという記事・・・この2つの記事が並んでいるのは、何か象徴的なものを感じる。

東京新聞 2012年1月17日

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