Daily Archives: August 15, 2011

日本のテレビにAREVA – AREVA à la TV japonaise

2011年5月20日 BSフジLIVE PRIME NEWS

20 mai 2011 – TV BS Fuji Live Prime News

アレバ・ジャパン代表取締役社長 レミー・オトベール氏

Mr. Rémy Autebert, Président d’AREVA au Japon

在日フランス大使館・原子力参事官 ピエール=イヴ・ コルデイエ氏

Mr. Pierre-Yves Cordier, Conseiller Nucléaire à l’Ambassade de France du Japon

2011年4月19日、東京で行われた会見で、(元)アレバ社長のアンヌ・ロベルジョン氏は「汚染水処理の提案が正式に東京電力から認められた」っと発表し、その値段については、「我々は金額については現在のところ何も交渉はしていない。」っと話し、「信用・信頼」の元に作業を行い、金のことは後々に・・・って言ってたわけだ。

この時点での処理が必要となる量は、6万トンの汚染水と報じられていた。

Présidente d’Areva, Anne Lauvergeon : “Tokyo Electric Power Company (Tepco), a accepté notre proposition” , lors d’une conférence de presse donnée à Tokyo” (19 avril 2011)

PLUS DE 60 000 TONNES D’EAU RADIOACTIVE

“Nous n’avons rien négocié en terme de prix”, a-t-elle ajouté, disant “avoir confiance” en ses interlocuteurs japonais pour traiter ultérieurement du volet financier de la coopération.

http://www.lemonde.fr/planete/article/2011/04/19/tepco-charge-areva-de-decontaminer-l-eau-radioactive-a-fukushima_1509796_3244.html

2011年8月1日 参議院 東日本大震災復興特別委員会

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メモ : 以前、フランスの文化相フレデリック・ミッテラン氏が福島県を訪れて、「安全キャンペーン」をやった件について書いた。→ 「フランスの文化相の安全キャンペーン

その中で、あたしは、7月14日付けのル・フィガロ紙の記事にあった興味深いことをメモった。

福島県郡山市で開催された「フランス革命記念日祝祭」に参加したフランス大使の1人の発言。

わたし達が日本と連帯を持たなければいけないのは、日本が原子力というものを信じたからだ。もし日本が原発を止めたら、(原発推進国の)フランスは孤独な立ち居地になってしまうから。

これは具体的に、誰の発言なんだろうね?

在日フランス大使館・原子力参事官のピエール=イヴ・ コルデイエ氏の発言?

2010年に、アレバは、こんな声明をしているんだね。

あれだけの地震国の日本が原発をいくつも建設しているわけで、ということはインドに建設しないという理由にはならないわけです。それから、最新型原発EPR(加圧水型原子炉)は特殊な建設方法の元造られている分けですから、たとえ大地震が来たとしても、原子炉は即刻停止をし、もちろん原子炉炉心にも問題が起きることは無いのです。

note : Un diplomate vend la mèche: «Nous devons aussi soutenir le Japon parce qu’il croyait au nucléaire. S’il renonce à son tour, la France se retrouvera un peu isolée.» (Le Figaro 14/07/2011)

“Campagne de sécurité” par le ministère de la culture français

AREVA en 2010 : “Si des centrales sont construites au Japon en zone sismique, il n’y a pas de raison de ne pas en construire en Inde. De toutes façons, les EPR sont conçus de telle façon qu’en cas de tremblement trop important, le réacteur s’éteint tout de suite, et il n’y a pas d’endommagement du cœur

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FRIDAY 6月29日号


毎時5マイクロシーベルトでバーベキュー – Barbecue à 5 microsievert / h

2011年3月15日から26日までの、放射線線量。

青 bleu = 南相馬市 Minamisôma (24 km)

ピンク rose = 飯舘村 Iitate (40 km)

緑 verte = 川内村 Kawauchi (23 km)

水色 bleu claire = いわき市 Iwaki (40 km)

赤 rouge = 田村 Tamura (40 km)

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朝日新聞 2011年8月15日14時40分

放射能あっても盆の恒例行事を 飯舘村民がバーベキュー 

(久々に再会し、笑顔の村民たち=14日、福島県飯舘村、後藤写す)

東京電力福島第一原発の事故で全村避難している福島県飯舘村で14日、約40人の村民が屋外でバーベキューを楽しんだ。

4月に計画的避難区域に指定され、村民はそれぞれ村を離れたが、お盆で一時的に帰宅した人が開催にこぎつけた。

避難以降、これだけの住民が集まるのは初めてという。

前田行政区長の長谷川健一さん(58)が「放射能という化け物のおかげで、我々は集落を捨てねばならないかもしれないが、絆だけは守りたい」とあいさつ。

肉や野菜を一斉に焼き始めた。

毎年の恒例行事で、昨年までは約200人が集まった。

会場の前田グラウンドは放射線量が毎時5マイクロシーベルト。

開催には反対意見もあり、参加者は50~70代が中心だった。

http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY201108150019.html

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飯舘村の人々が笑顔でバーベキューやってる前田グラウンドは、毎時5マイクロシーベルトって記事では書いてあるわけだけど、福島県災害対策本部PDF資料の『20㎞~50㎞圏付近環境放射能測定結果(暫定値)』を見てみた。

同日8月14日、同じ飯舘村の長泥コミュニティーセンター(原発から北西33キロ)では、可搬型MP測定で、朝の9時に毎時マイクロ9.05マイクロシーベルト、昼の1時に毎時8.91マイクロシーベルトと記されてる。

同じく14日の飯舘村役場(原発から北西39キロ)では、可搬型MP測定で、朝の9時に毎時2.63マイクロシーベルト、昼の1時に毎時2.58マイクロシーベルトだってさ。

これも、ほんま結果が公表されているものを見るだけで言ってるわけだけど、場所によって随分と差があるよな・・・。

話は変わるけど、福島県内ニュース7月19日の記事から、思わぬことが分かるね(バレてるよね)。

やっとやっと、あの高濃度汚染された飯舘村が計画的避難地域に指定されて(指定されたのは4月22日)・・・って、そういう土地から養豚出荷ですか?えええええ?

で、この事故の後、この豚は「無事出荷」されたんですかぁぁああ??

福島県内ニュース
飯館村交通死亡/ゼロ記録5年弱で停止
2011年07月19日 11時29分配信

18日午前7時15分ごろ、飯舘村深谷の県道で川俣町秋山、大工高橋郁夫さん(56)の軽貨物と栃木県那珂川町、会社員高林利夫さん(60)の大型トラックが正面衝突した。

高橋さんの車の助手席に同乗していた川俣町飯坂、建築設計業佐藤良男さん(63)が全身を強く打ち出血性ショックで死亡した。高橋さんも全身を強く打って重体。

高林さんにけがはなかった。
南相馬署の調べでは、対向車線を追い越してきた乗用車を避けようとした高橋さんが、高林さんのトラックと衝突したらしい。

高橋さんらは南相馬市鹿島区の仮設住宅建設現場に向かう途中。
高林さんは飯舘村の養豚農家から出荷された豚48匹を積んでいた。
レッカー作業のため、現場周辺は7時間にわたり交通規制が敷かれた。

飯舘村では平成18年8月以来、交通死亡事故ゼロを続けていたが1799日でストップした。
村は全村避難をほぼ終えたが、工事関係者車両などで県道の交通量は震災前の4、5倍になっている。

http://www.kfb.co.jp/news/index.cgi?n=201107190

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asahi.com (14/08/2011)

Malgré la radioactivité, les habitants du village d’Iitate organisent un barbecue comme les années précédentes

(Photo prise par Goto : les habitants d’Iitate souriants de leurs retrouvailles)

Après l’accident de la centrale nucléaire de Fukushima-Daiichi, le village d’Iitate (environ à 45 km de la centrale) a été totalement évacué, mais le 14 août, environ 40 habitants se sont retrouvé dans leur village autour d’un barbecue.

Le village a été classé comme un endroit à évacuer, ainsi les habitants ont quitté leur village mais pour cette période d’Obon (Fête des lanternes), certains sont revenus chez eux.

Après l’évacuation du village, c’était la première fois que les habitants se sont réunis aussi nombreux.

Le responsable administratif du quartier de Maeda, Mr. Kenichi Hasagawa (58 ans) s’est exprimé : “Il est possible que l’on doive abandonner notre village à cause des monstres radioactifs, mais je souhaite garder le lien entre nous”.

Ils ont ensuite commencé à cuire de la viande, des légumes.

En effet c’est là un barbecue organisé tous les ans et habituellement il réunit d’habitude environ 200 habitants, mais cette année, la radioactivité de leur terrain de Maeda était de 5 microsievert par heure.

Bien qu’il y ait eu quelques opinions critiques à propos de ce barbecue, les participants, qui ont entre 50 et 70 ans, ont tenu ce rendez-vous annuel.

http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY201108150019.html